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大阪松竹座の解体が11月開始 103年の歴史・道頓堀の凱旋門・跡地計画・閉館理由など

ニュース

2026年10月23日、道頓堀の顔として親しまれてきた大阪松竹座の解体工事が11月から始まることが、松竹への取材で明らかになりました。5月26日の千秋楽で103年の歴史に幕を下ろした劇場が、いよいよ姿を消す段階に入ります。

戎橋から道頓堀川沿いを歩くと、グリコサインのにぎやかさとは対照的に、重厚なアーチを構えた建物が静かに建っています。あのアーチは「道頓堀の凱旋門」と呼ばれ、実は大正時代のデザインを受け継いだものです。ニュースの要点とあわせて、意外と知られていない松竹座の成り立ちや、解体前に知っておきたいトリビアを整理しました。

  • 解体工事はいつから始まり、跡地はどうなるのか
  • 1923年の開場から2026年の閉場までの103年の歩み
  • 「道頓堀の凱旋門」と呼ばれたアーチの由来
  • 映画館から劇場へ変わった意外な経緯
  • 解体前に外観を眺めるときのマナーと周辺の楽しみ方

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大阪松竹座の解体はいつから?ニュースの要点

報道によると、解体工事は2026年11月に着工します。松竹はこれまで「新たな文化芸能の発信拠点の実現」に向けて取り組むと説明してきましたが、2026年10月23日時点で解体後の具体的な計画は決まっていないという状況です。

時期 出来事
2025年8月28日 設備の老朽化を理由に閉館を発表
2026年4月14日 松竹が取締役会でビルの解体を決議
2026年5月26日 『御名残五月大歌舞伎』千秋楽で閉場
2026年11月 解体工事に着工(予定)
解体後 具体的な計画は未定

解体を決めた理由は「修繕コスト」

日本経済新聞の報道では、1997年の新築開場から約30年が経ち諸設備が老朽化したこと、さらに資材高で修繕コストが採算に見合わないと判断したことが理由に挙げられています。松竹は解体に伴い、減損損失24億円と建物解体費など約20億円の特別損失を計上すると発表しました。合わせて40億円を超える規模で、劇場を維持する難しさがうかがえます。

ちなみに、ここでいう「減損損失」とは、建物などの資産の価値が下がったときに、帳簿上の金額を引き下げて損失として計上する会計処理のことです。

跡地の行方はまだ白紙

跡地について「新たな文化芸能の発信拠点」という方向性は示されているものの、劇場として再建するのか、複合施設になるのかといった中身はまだ発表されていません。続報は松竹の公式発表で確認するのが確実です。

103年の歩み 活動写真館から劇場へ

大阪松竹座の始まりは1923年(大正12年)5月です。松竹の公式資料によると、日本最初の鉄筋コンクリート造りの活動写真館として誕生しました。当時は「民衆芸術の第一殿堂たる純欧風劇場」とうたわれ、モダンな洋風建築が道頓堀に新しい風を吹き込みました。

開場式は映画と少女歌劇の豪華プログラム

開場式では、野村芳亭監督の日本映画『母』、エルンスト・ルビッチ監督の『ファラオの恋』、そして松竹楽劇部による『アルルの女』が披露されました。映画と舞台を一度に楽しめる構成は、当時としてはかなり先進的だったと考えられます。

この松竹楽劇部は1922年4月に誕生し、のちにOSK日本歌劇団へとつながっていきます。宝塚と並ぶ関西のレビュー文化の源流のひとつが、実はこの松竹座にあったわけです。

戦後は洋画の封切館として愛される

大阪松竹座が洋画封切館だった時代を思わせるヴィンテージ映写機(イメージ)

戦後の1945年8月に映画興行を再開し、1952年7月には洋画封切館として再出発しました。同じ年の9月には『風と共に去りぬ』を上映していた記録が残っています。古くからの大阪の映画ファンにとって、松竹座は「話題の洋画を真っ先に観る場所」でした。

1997年、演劇専門劇場として生まれ変わる

大阪松竹座が演劇専門劇場として歩んだ舞台芸術をイメージした赤い劇場カーテン(イメージ)

映画館としての役目を終えたのち、1994年5月に建て替え工事が始まり、1997年3月に演劇専門劇場として新築再開場しました。ここから松竹座は、歌舞伎、松竹新喜劇、関西ジャニーズの公演、OSKのレビュー、ミュージカル、コンサート、落語会まで、幅広いジャンルの舞台を受け止める劇場になります。2023年には開場100周年を迎え、記念公演も行われました。

「道頓堀の凱旋門」と呼ばれたアーチの秘密

松竹座を象徴するのが、正面の大きなアーチ窓です。設計は大林組の木村得三郎で、様式はネオ・ルネッサンス。左右対称の堂々とした構えが、パリの凱旋門を思わせることから「道頓堀の凱旋門」の愛称が生まれました。

実は「保存して移築」されたファサード

意外と知られていないのが、1997年の建て替えでこのファサードが保存・移築されている点です。建物自体は新しくなっても、大正時代のアーチのデザインは受け継がれ、約70年分の記憶をそのまま次の時代へつないできました。今回の解体でこのアーチがどう扱われるかは、2026年10月23日時点で発表されていません。

数字で見る最後の松竹座

項目 内容
所在地 大阪市中央区道頓堀1丁目9番19号
座席数 1,033席(花道設置時)
内訳 1階553席・2階282席・3階198席・幕見席12席
延床面積 11,253平方メートル
最寄り駅 地下鉄なんば駅・心斎橋駅、近鉄・阪神大阪難波駅、南海なんば駅

1,033席は、花道を備えた歌舞伎劇場としては比較的コンパクトな規模です。1階から3階まで客席を積み重ねたつくりで、横に広げず縦に席を確保している点が、限られた道頓堀の敷地らしい工夫と考えられます。

道頓堀の劇場文化と松竹座の立ち位置

道頓堀は古くから芝居の町として知られ、江戸時代には浪花座・中座・角座・朝日座・弁天座の「道頓堀五座」が軒を連ねていました。ちなみに松竹座は近代に新設された劇場のため、この五座には含まれていません。

五座の多くはすでに姿を消しており、松竹座は道頓堀に残る劇場文化の象徴的な存在でした。グルメやネオンの街というイメージが強い道頓堀ですが、川沿いを歩くと「芝居の町」としての顔が今もところどころに残っています。今回の解体は、その系譜にとってひとつの区切りになる出来事です。

世代ごとに違う「松竹座の記憶」

大阪松竹座の映画館時代の記憶を思わせるヴィンテージのフィルムリール(イメージ)

1952年から1994年までは洋画の封切館、1997年からは演劇専門劇場という歴史をたどると、世代によって思い浮かべる松竹座が違うことに気づきます。年配の方には「洋画を観に行った映画館」、若い世代には「歌舞伎やアイドルの舞台を観た劇場」として記憶されているケースが多いと考えられます。ひとつの建物に二つの顔があるのも、103年続いた劇場ならではの特徴です。

解体前に外観を眺めるときのポイント

着工後は仮囲いで外観が見えにくくなることが一般的です。アーチを目に焼き付けたい場合は、工事が本格化する前の時期が目安になります。

マナーを守って静かに見学

  • 敷地内には立ち入らない:閉場後の建物は関係者以外立ち入りできません
  • 歩道をふさがない:道頓堀周辺は人通りが多いため、立ち止まっての撮影は短時間に
  • 工事開始後は作業の妨げにならないように:車両の出入り口付近での撮影は控えましょう

周辺で松竹座の余韻にひたる

実際に現地で見上げてみると、写真で見る以上にアーチの大きさを実感できるはずです。アーチを眺めたあとは、道頓堀川沿いの遊歩道「とんぼりリバーウォーク」を歩くと、川越しに街並みを眺められます。なんば駅から徒歩圏内のため、買い物や食事のついでに立ち寄りやすい立地です。

よくある質問

Q. 大阪松竹座の解体はいつから始まりますか?

A. 報道によると2026年11月から解体工事が始まる予定です。

Q. 大阪松竹座はいつ閉館しましたか?

A. 2026年5月26日の『御名残五月大歌舞伎』千秋楽公演をもって閉場しました。閉館は2025年8月28日に発表されていました。

Q. 跡地には何ができますか?

A. 松竹は「新たな文化芸能の発信拠点の実現」に向けて取り組むとしていますが、2026年10月23日時点で具体的な計画は決まっていないとされています。

Q. なぜ解体することになったのですか?

A. 1997年の新築開場から約30年が経って設備が老朽化し、資材高などで修繕コストが採算に見合わないと判断されたためと報じられています。

Q. 「道頓堀の凱旋門」とは何ですか?

A. 松竹座正面のネオ・ルネッサンス様式の大アーチの愛称です。1923年の開場時のデザインで、1997年の建て替えでも保存・移築されました。

Q. 松竹座はもともと映画館だったのですか?

A. はい。1923年に日本最初の鉄筋コンクリート造りの活動写真館として開場し、戦後は洋画の封切館として親しまれました。1997年から演劇専門劇場になっています。

103年の記憶を胸に、道頓堀の次の章を見届けよう

大正のモダン建築として誕生し、映画館、そして劇場へと姿を変えながら103年間道頓堀に立ち続けた大阪松竹座。11月の着工で、その姿は少しずつ見られなくなっていきます。

思い出がある人もない人も、なんばに出かける機会があれば、一度あのアーチを見上げてみてください。跡地に生まれる「新たな文化芸能の発信拠点」がどんな形になるのか、松竹の続報にも注目していきましょう。

参考:松竹「大阪松竹座の歴史」、日本経済新聞(2026年4月14日)、共同通信配信記事(2026年10月23日)ほか各社報道




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